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茅葺き屋根の家(8)

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写真は、妻有新聞「津南新聞トピックス」より
「セブンイレブン移動販売車、新潟県初で松代・松之山へ  3月22日号」(2013年)
http://www.t-shinbun.com/cgi_news/bn2013_03.html


山の上にあった祖父の家の周辺には、スーパーも学校もなかった。

自販機やコンビニは、大都市にしかなかった時代である。
食料はほぼ自給自足ですませ、たまに生活必需品を買うために
下山して小さな商店街に出かけて行った。

山のふもとまでは、小学生の私の足で片道30分はかかった。
「これでも便利になったのよ」と、母は言った。
「私が小学生の時は、学校に行くのに、山を降りて、そこからさらに30分は歩いたわ。片道1、2時間歩くのは普通だったの。この地区に小学校ができたのは、おじいちゃんの功績よ」
母が誇らしげに話していたのを、祖父の控えめな笑顔とともに、時折懐かしく思い出す。


ふもとには、宅急便を扱う米屋と、生鮮食料品や生活用品を扱う農協、小さな本屋、そしてタバコ屋が並ぶ「商店街」があった。ガソリンスタンドと小さな飲み屋もあったかもしれない。
私たちが泊まりに行く時、祖父は必ず、その商店街で刺身を買って待っていてくれた。

「ネラ(あなたたち)は刺身、好きだすけ」

祖父はそう言って、いつも食べきれないくらいの刺身を用意してくれた。

確かに、私たちは刺身が好きだった。日本海の近くに住んでいた私たちは、当たり前に新鮮な魚を食べて育ったからだ。
けれど、山の上に運ばれる刺身は冷凍品ばかりだったので、私はいつも、刺身を残していたように思う。
子どもは正直で残酷だ。

そんな、買い物も不便な祖父たちの地区には
週に2回「移動スーパー」がやってきた。
日用品や生活雑貨を積み込んだトラックは
軽やかな音楽とともにあらわれた。
わたしは、この移動スーパーが大好きだった。

ちゃらりらり〜、と遠くから移動スーパーの音楽が聞こえると
親や祖父母からお小遣いをもらい、移動スーパーの停まる場所まで、駆け足で出かけた。
トラックの荷台がガバリと開き
ショーケースが並んだ荷台の中に足を踏み入れると
わけもなく心が浮き立った。
町に帰れば、好きな時に好きなだけ買えるノートや鉛筆も、移動スーパーで買うと、なんだか特別な感じがした。

たぶんわたしは、その「特別感」が好きだったのだと思う。
「町にはない移動スーパー」
「トラックの中に入って買い物ができる」

そんな特別感は、過疎化による地域消滅と背中合わせだったのだが、その現実をわたしが知るのは、もっと先のことになる。


by edison_bb | 2017-06-16 23:37 | 祖父の思い出
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